Japanese Red Cross Medical Center Emergency and Critical Care Medicine Center

トリアージ/Triage(詳細編)

トリアージの語源は、豆の選別であったと言われています。
要するに「ふるい分け」のことです。

わが国でよく使われるトリアージ法として、START法やPAT法があり、
トリアージタグをつけて患者の選別をすることを一般的にイメージしがちですが、
本当はこれらはトリアージの手法であって、本質は「ふるい分け」をして「優先順位をつける」ことだと筆者は考えています。
即ち、「搬送トリアージ」といわれる、患者の搬送順位をつける作業も重要なトリアージですし、
もっと踏み込んだことをいえば、本当は本部内で同時進行で行われている複数業務の優先順位を決めることも重要なトリアージなのではないかと。

ここではリンクとして「START法」「PAT法」、そしてテロなどで使われる「SALT法」を提示しておきます。

わが国のトリアージでは4段階の緊急度に分類され、
これをトリアージタグの色「赤」「黄」「緑」「黒」で分類します。
これらを参考に治療や処置、搬送の優先順位を決定していきます。
災害時に求められるのは「重症度」のみならず「緊急度」が極めて重要な判断材料と考えなければなりません。
例えば、悪性腫瘍は命にかかわるという意味では「重症度」は高いのですが、
多くは月単位で進行するものであり、概ね「緊急度」として高いとは言えません。
その反面、例えば「てんかん発作」は適切に対応すれば生命にかかわることは滅多にありませんが、
逆にいえば適時適切な対応が必要であり、「緊急度」は高いと言ってもよいでしょう。
目の前に胃がんの患者さんとてんかん持ちで今まさに発作を起こしている患者さんがいれば、
普通の臨床医であればてんかん発作の患者さんを先に診ます。
これは重症度ではなく緊急度を重要視しているということです。
もちろん、がんとてんかんを同じ評価軸の上に置くことは乱暴だと言われるかも知れません。
しかし、あらゆる疾患や病態、患者さんの状態そしてその程度、災害時要援護者か否かという社会的背景までも含めてひとつの評価軸に乗せ、総合的な判断が求められるのがトリアージといってもいいかなと思います。

我々は、日常生活の中でも知らず知らずトリアージをしているのだと思うのです。
「昨日提出の書類、早く出せと上司が怒ってたな。今やってる仕事とどっちを先にしようかな?」
「上の子がお腹すいたって言ってるけど、下の子のおむつ替えの方が先にやらないとヤバそうだな」
「同級生は45ページが試験に出るって言ってたけど、昨日先生は52ページを出すって言ってたから、先に52ページをやろうかな」
などなど、言ってしまえば全部トリアージです。
災害医療従事者は、平素の診療から常に最も効率的な動きをするにはどうすべきかを考えていると思います。
逆にいえばこれを意識して日常業務をこなすことで災害医療で使える感覚が養われるというものかも知れませんね。

【現在のトリアージという概念に対する警鐘】
現在の災害医療の現場ではSTART法やPAT法といった「手法」に主眼を置いたトリアージになっていると思います。
これらの手法を、その場の現況に合わせて適切に選択していくことは当然求められます。
しかし、これが絶対なのでしょうか?

首都直下地震や南海トラフといった医療サイドが圧倒的劣勢な状況において、「赤」患者さえも共倒れさせてしまうリスクがあるようなこともあり得るはずです。
START法で言うところの「黄」患者を死なせないのがやっとという地獄のような状況だってあり得るはずです。
すなわち、トリアージの手法はツールに過ぎず、これが目的化してはならないのです。
しかし、現状の災害医療業界では画一的な線引きの中でしか考えられない風潮をどうしても感じてしまいます。
「手術も出来ず、搬送もできないから、A,Bの赤だけは救命する」
とか、
「〇歳以下でADLが要介護〇以上の人は黒にせざるを得ない」
という判断さえも迫られかねないという現実から目をそらしてはいけないはずです。

トリアージは、時として命の選別を迫られることになります。
家族・遺族から後に責められることもあるでしょうし、
こういった責任を現場が背負うのは、酷だとも思います。
しかし、我々医療従事者は時としてこういった現場に直面するのだということを覚悟せねばならないと思います。
トリアージを実施する責任者、Triage officerには過大な責任がかかる可能性がありますが、
同時に「この人の判断・決断なら信じられる」と皆が思えるような人物でなければならないのだと、先人たちは言っています。

現場に負担がかかるような形にならないようなスキーム開発を筆者自身は目指していますが、
完成は遥か未来のことだと思います。
これを読まれている災害医療関係者各位には、今一度立ち止まって、トリアージはスキルじゃなくて、「最大多数の最大幸福を追求するための概念」であり、
スキルはあくまでもこれを実現するためのものに過ぎないということを再認識していただきたいと思うところです。

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